没落した二宮家を再興した二十代前半までを
振り返ってみたいと思います。
病弱な父親に代わって、
子供だった金次郎が大人にまじって
酒匂川の堤防の工事に携わったこと。
このときに、働く大人たちのために
わらじを作ったこと。
このことに大人たちは、
工事によりいっそう励んだ。
ここまでのところで思うことは、
金次郎は、子供ながらも自分にできることは何か、
みんなのためにできることは何かを思考できる人間に育っていた
といるのではないか。
父親は、困っている人たちに
米やお金を分け与えることで
人の役にたとうとしてきた。
しかし、二宮家が困ったときに
助けてくれる者がいなかった。
こうしたことを見てきた金次郎。
人間不信になってもおかしくなかったと思える。
でも、そうならなかったのは、
父親が、助けてくれなかった人たちを恨むようなことが
なかったからではないだろうか。
お人好しな父親であったことが、
人間不信にならなかった要因ではないだろうか。
そして、こうした父親を見てきたことで
どうすることが、人の役に立つことになるのだろうと
思考するようになったのではないだろうか。
そうした意味で、父親は反面教師だったのでは
なかったのかと思うのです。
また、父親が本好きだったことが
金次郎に学問に対する関心を強く持たせることに
つながったのではないか。
それと、両親にとても愛されたのではないでしょうか。
金次郎の逆境のなかにあっても、懸命に努力することが
できたのは、親の愛をとても感じられたからじゃないだろうか。
そして、常にプラス思考だったのでしょう。
油菜を油と交換したこと、
開墾して米を収穫し、蓄えていったこと、
これらは、学問を学んだことによって
できたのだと思います。
知識・教養を身につけること、
目標を持つこと、
小さなことをおろそかにせず、一生懸命積み上げていくこと
それが、成功への道のりなのかなと感じます。
これまでのところで
私が、感じたことをまとめてみました。